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大根島の雲州高麗人蔘
1.生産の歴史
中国の「神農本草経」(紀元前1〜2世紀成立)にすでにあらわれており、2000年来広く使われてきた漢方では効能、副作用の有無の度合いにより上薬・中薬・下薬に分類されているが、人蔘は上薬にいちづけられており漢方の王様として知られている。
日本では江戸中期(約200〜250年前)8代将軍徳川吉宗の時代に幕府の財政建直しの一つとして江戸城内で密かに人工栽培の研究がなされ、「お種人蔘」としてその種子と技術を全国に配布し人蔘の栽培を奨励したが、明治に入り殆どが消滅し日本の三大産地と言われる島根県と福島県と長野県に残るほどとなった。
2.流通の歴史
江戸時代には種子は勿論、生産品の私的販売は御法度とされていたので、松江藩直轄の御手畑や委託栽培の百姓畑で生産された人蔘をすべて藩で一括して製造し、藩庁(松江人蔘方)から専売されていた。
販売先は、大阪・神戸・長崎から中国に輸出されていたが、明治になってからは民間に払い下げられ8名の者が人蔘会社が設立し事業を継承した。その後、有志の手によって協同経営の人蔘製造会社や個人の製造会社が設立され2万斤を越える出荷量を誇っていた。
現在はその流れを汲む個人の製造会社数社とJAくにびき八束支店人蔘部会により中国人バイヤーを介して香港市場や台湾へ全生産量の約8割が輸出され、残り2割が人蔘エキスや人蔘粉末などの2次加工品として国内で販売されている。
3.JAと人蔘
昭和57年に旧八束町農業協同組合内に特産畑作総合振興対策事業により国や県及び町の助成を受け薬用人蔘協同加工処理施設が設置され、八束町入江地区の人蔘部会が中心となって八束町薬用人蔘協同加工処理部会が発足し、同施設を利用して製造作業を行い香港や台湾へJAが委託販売を行ってきた。
同時に、原料として製造された人蔘を買い入れ二次加工を施し健康食品としてJAくにびきで販売し現在に至っている。
4.施設紹介
・平成8年4月にオープンしたばかりの二次加工施設兼売店場です。
・今まで手作業で行われてきた粉末瓶詰め作業も新しく導入された「粉末充填機」により作業効率がアップしました。
・長時間かけて濃縮を行ってきたエキスも新しく導入された「真空サムニーダー」と「真空車軸ニーダー」により短時間で高品質・高濃度のエキスを濃縮することが可能になりました。
・この売店で加工施設で作られた二次加工品を展示販売しております。
・売場から加工風景が見学できるようになっています。
5.成長過程
1.こんな小さな苗が大根島の素晴らしい環境と生産者の愛情の中でゆっくりと大きくなります。
2.植えてから2年目を迎えました。人蔘はようやくこの位に成長します。
3.知っていましたか?これが人蔘の「花」です。収穫まで後2〜3年。まだまだです。
4.花が緑色の実に、そして真っ赤に色づきます。成長の邪魔になるので種子を収穫するもの以外は摘果します。
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